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[映画002]デルス・ウザーラ [映画]

★★★★☆
映画「デルス・ウザーラ」TV放映


デルス・ウザーラ [DVD]

デルス・ウザーラ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東宝ビデオ
  • メディア: DVD



調査の為に厳しい森へ分け入ったアルセーニエフ指揮する調査隊は、 森の中で狩りをしながら暮らすデルス・ウザーラという老人に出会う。 アルセーニエフはデルスに調査への同行を依頼、 ともに厳しい自然に対峙するうちに 自然とともに生きるデルスの姿に感銘を受ける。

明らかに娯楽映画ではないし、2時間半もあるし、
レンタルにもあまり置いてないしで、
黒澤映画の中でもハードルが高かった作品。
先日録画していたBSでの放映分をやっと観る。
(実は第一部と第二部に分かれていた。
はじめに知ってればもっとハードル下がったのに。)

キリスト教にはよく映画などのモチーフにも使われる
「原罪」という観念があるが
デルスの物語も一種の原罪にまつわる話なんではないだろうか。

 世界の始まり。 最初の人間アダムとイヴは エデンの園において、水や土、草木や生き物とともに 完全な調和を保って神の側におかれていたが、 禁じられた知恵の樹から実をとって食べてしまう。 それによって土地は呪われ、二人はエデンの園から追放され、 人類は永遠の罪を背負った。

【これ以降ネタバレです】
デルスは太陽や月や風を同じ世界に生きるものと認識し、「人」と呼ぶ。
ソビエトの厳しい自然はエデンの園のように優しげではないけれど、
彼はその中にあっても自然との調和を保って生きている。

一方、アルセニーエフは私たちと同じく文明に従って生きている。
人間の為の知恵=文明は、自然との調和を無視してきた。
悪気なく自然を利用し、破壊し、作り替える。
神が知恵の実を禁じたのは、
それこそが創造物の調和を乱す種だったからなのかもしれない。

そんなアルセーニエフはデルスに出会い、その感じ方、考え方に
自分たちとは違ったものを感じ取り感銘を受ける。
そして行動を共にするのだけど、
それは図らずもデルスをエデンの園から追い落とす行為だった。

常に自然とともにあったデルスは
虎と対峙した時に、自分が森から遠ざかりつつあることに気づき始めた。
必死に調和を取り戻そうとするデルスだが、
ついに狩りをする視力を失ってしまう。

デルスにはもう森で暮らす資格はないのだろうか。
アルセーニエフはデルスに、都会の自分の家で暮らすように言い、
デルスもそれに従う。

しかし都会での暮らしはデルスの生き方とはあまりにも違っていた。
ここでは水や木が金に換えられ、取引される。
人間の為の掟が、デルスの生き方を許さない。
森に戻る決意を固めるデルスに、
アルセーニエフは最新式の銃を贈る。

そしてデルスは遺体で発見された。
森というにはあまりにも浅い場所で、
最新式の銃に目をつけた強盗に殺されて。

まるでデルスが森に拒絶されたかのような最期。
神は知恵を携えてエデンの園へ戻ろうとするデルスを
許さなかったのではないだろうか。


私は宗教のことはよく知らないけど、
原罪には、人間は生まれながらにして罪を背負っているというような
意味が含まれていたと思う。
アルセーニエフもデルスもなにも悪いことはしていないのに
なんでこんなことになっちゃうの?と思ってしまうが、
神の存在を信じずとも、人間がごく普通に生きているだけで
自然と調和することは不可能に近いということはわかる。

自然はとても美しくて大きくて、
自分が存在しているだけでそれを損ねてしまうというのは、
とてもやるせない。
でも、人間は生きていくんである。



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ちなみに、ロシア正教にもイスラム教にも原罪の概念はないそうだ。

ところで、この映画をアメリカで公開したのは
あのB級映画の帝王ロジャー・コーマンだったりする。
彼はこの映画を秘書かなんかと観たそうだ。
「こんな映画を観たがる人は私たちしかいませんよ」
という秘書に、彼は、
「儲からなくてもやらなければいけない事がある」
とかなんとか言ったとか。
うろ覚えですみません。でも、かっこいいでしょ!
(この辺の話は彼の自伝で語られています。)






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